洞峰公園のその歩みと価値 ― 私たちはレガシーを守っていきたい
洞峰公園の歴史
洞峰公園の設計コンセプト
洞峰公園は、もともと農業用水を確保するために人工的につくられた沼を中心に、つくばの先人たちの努力により、明るく広がりのある景観の構成を考慮しながら、生物多様性が確保される先端的都市公園として40年も前に造られた公園です。
先人の言葉を素直に受け止めると、私たちが魅了されている洞峰公園のたたずまい、自然の豊かさや静けさは、そこに集う者たちが、日常生活の中で、守り伝える為の小さな努力なくしては、維持できないものではないかと考えます。
- 洞峰沼は、江戸時代初期に天然の池を人工の灌漑用の水源に造り直し、1883年(明治16年)発行の迅速測図では、上池(上原池)・下池(小野崎池)の2つに分かれ、面積は現在の3倍であったそうです。
- 1972年(昭和47年)、筑波研究学園都市の建設に伴い下池は埋め立てられ、上池は縮小して洞峰公園内に残され、下池の跡地は学園西大通りと宅地になったそうです。
洞峰公園の設計コンセプト
- 洞峰公園は、レクレーション施設を設置すると同時に、既存の洞峰沼の広水面を生かした、明るく広がりのある景観構成を行うことが計画概要上重要な課題であったそうです。
- 景観構成の中心となる洞峰沼の水収支、水質保全、沼内水生植物群落の保全など、洞峰沼の景観及び生態系の保全に留意した設計が意図されたそうです。
- 洞峰沼をはじめ、洞峰公園が新都市の自然環境のシンボルであることから、建築物はその「維持管理」が主眼であり、動植物もかかわる公園は使いながら育てるという「育成管理」が大切とされ、今後より良い公園とするためには、市民の関わりが重要な意味を持つと考えられたそうです。
洞峰公園は、もともと農業用水を確保するために人工的につくられた沼を中心に、つくばの先人たちの努力により、明るく広がりのある景観の構成を考慮しながら、生物多様性が確保される先端的都市公園として40年も前に造られた公園です。
先人の言葉を素直に受け止めると、私たちが魅了されている洞峰公園のたたずまい、自然の豊かさや静けさは、そこに集う者たちが、日常生活の中で、守り伝える為の小さな努力なくしては、維持できないものではないかと考えます。